湘南の矯正医の料理とお酒の楽しみ方
大学を卒業し、湘南の地に憧れ、住み着いたのですが、それからもう27年も経ってしまいました。色々な経験をして今があります。そんな人生で得たことを綴っていければと思っています。
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日本酒の起源について

日本列島に住む人々がいつ頃からを原料としたを造るようになったのかは定かではないが、稲作、とりわけ水稲の耕作が定着し、安定してが収穫できるようになってからのことであるのは確かと思われる。

日本にが存在することを示す最古の記録は、3世紀に成立した『三国志』東夷伝倭人条(いわゆる魏志倭人伝)の記述に見られる。同書は倭人のことを「人性嗜(さけをたしなむ)」と評しており、喪に当たっては弔問客が「歌舞飲」をする風習があることも述べている。ただ、このが具体的に何を原料とし、またどのような方法で醸造したものなのかまでは、この記述からうかがい知ることはできない。


ちなみに、と宗教が深く関わっていたことを示すこの『三国志』の記述は、造りが巫女(みこ)の仕事として始まったことをうかがわせる一つの根拠となっている。

もう一つの根拠は、「医」という文字の変遷に見られる。中国大陸においては、古くは同じく口噛みの製法で紀元前14世紀ごろアワ(粟)、キビなどの雑穀から「小」(小は粟の意。)を造ることから醸造の歴史が始まり、紀元前8世紀には「」の時代に入っていた。

ただし、「」は「種」という意味でしかないので、注意が必要である。1世紀ごろの漢方医学の書物には、古代漢方において醪(しゅろう)と呼ばれる処方、すなわち服薬に際して「で煎じるべし」「酒で服用すべし」といった指示が頻繁にあらわれる。こうしたことから、当時すでにで造った酒が医療的に重要な意味を持っていたことがわかる。

「医」の旧字体「醫」の部首である「酉」(とりへん)は、「醸」「醗」「酵」のように酒に関連した物事をあらわすが、これは酒を醸す壺が半ば土に埋まっている象形に起源を持つ。さらに時代をさかのぼると「醫」の下部「酉」は「巫」であった。これはすなわち、まだ医療行為の主流が現代でいう「占い」のようなものであったころ、集落や古代国家においてそれを司る者が巫女もしくは巫祝(ふしゅく)であったことを示している。

またその文字が時代とともに「醫」に変化していったことから、医師である巫女・巫祝が、「占い」に加えて今でいう「薬物療法」を取り入れ、医術が進歩もしくは変化してきたことがうかがえる。すなわち、生薬(しょうやく)の類を医師が酒醪として処方するようになってから、「医」の文字も「醫」に変化していった、と考えられるのである。


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